芥川賞作家・又吉直樹氏の「劇場」を読みました。
「劇場」は、爆発的な大ベストセラーとなった「火花」に続く又吉氏の第二作、ご本人は本作について、
「恋愛がわからないからこそ、書きたかった」
と記されています。
芥川賞受賞後、大変なプレッシャーの中で上梓された「劇場」とはどのような作品なのか、ネタバレにならない超あらすじとともに、読んだ率直な感想、そして個人的な考察を記します。
「劇場」のネタバレにすらならない超あらすじ
「劇場」のあらすじをネタバレにすらならない程度で記しますと・・・。
中学生のときに演劇に目覚めた内向的な青年「永田」が、演劇で身を立てるために上京する。
ひょんなことで知り合った屈託のない女子大生「沙希」と付き合い始める。
いつまでたっても売れない演劇を続ける「永田」とそれを支える「沙希」。
やがて、二人の間ですれ違いが始まり、そして、・・・。
このように書くと、超あらすじ過ぎて何のことか分からない、ですよね(笑)。
NHKスペシャル「又吉直樹 第二作への苦闘」
2月の末に、NHKで「又吉直樹 第二作への苦闘」と題したスペシャル番組が放映されました。
「火花」という大ベストセラーを世に送り出し、そして、芥川賞まで受賞した又吉直樹氏が、第二作の執筆において苦闘するもの。
売れっ子芸人として多くの仕事を抱える一方、芥川賞受賞後に増えたエッセイや書評など、締め切りのある書き仕事で、小説を書く時間が取れない毎日。
「火花」だけの一発屋で終わってしまうのではないかと言う不安。
そして何より「火花」が難解すぎるとの感想を持った若者たちに、読んでもらうにはどのような作品を書けば良いのかという悩み。
このような苦闘する日々が番組の中で描かれ、そして、書き続けていたのがこの「劇場」という作品です。
「火花」よりも前に書き始められた「劇場」
「劇場」は実は「火花」よりも前に書き始められていたのです。
ところが、かなり早い段階で、先に書き進められなくなったとか。
一方、「火花」は、書き始めてから、何かが乗り移ったかのように一気に書き上げることができ、世に送り出されたもの。
「劇場」はただでさえ難産だったうえに、芥川賞受賞作の次作品というとんでもなく高いハードルを課せられた作品ですが、書いていても出てこないものは出てこないのか、あるいは、そのときはまだ書くべきときではなかったのか・・・、「火花」との違いは何だったのでしょうか。
「劇場」の第一稿は「ボツ」
番組の中で新潮社の編集長が、第一稿を「ボツ」とするくだりがあります。
いわく、
「恋愛に重きが置かれすぎている。主人公の苦悩を掘り下げ、完成度を上げろ」
と。
一方、又吉氏は読みやすさや分かりやすさといった「大衆性」を意識するとともに、「恋愛小説を書く」ことを宿命のように捉えており、「書きたいこと」と「分かりやすさ」のあいだでずいぶんと苦悩されたとか。
今、目にできるのは大幅に加筆され上梓されたものです。「ボツ」となった原稿はどのような内容なのか、是非、読んでみたいものです。
「劇場」の印象的なセリフと感情の変化
「劇場」の中で発せられた印象的なセリフを引用します。
次の瞬間、僕はその人の横にいた。その人は緊張で強張った顔を僕から遠ざけ、赤い髪を揺らした。
「靴、同じやな」
いつのまにか僕は小さな声で変なことを言っていた。
主人公永田が、沙希と出会う場面のセリフです。
心臓の音を聴きながら、久我山稲荷神社境内のベンチに座り、野原の指示通り、「明日、渋谷に家具を見にいきます。もし、暇やったらついて来てくれませんか」という文面を沙希に送った。
(中略)
「ごめん!全然暇なんだけど!」
(中略)
「今まで色々と御迷惑をお掛けしました。いつか、お会いできましたら珈琲代をお返しします。どうぞお元気で」
(中略)
「違うよ!ぜひってことだよ!明日、昼以降は空いているよ」
永田が沙希を初めてデートに誘うときのシーン。
この間、沙希に断られたと勘違いした永田が、その腹いせに親友・野原にワケのわからない理屈で絡みます。
はじめのうちは、主人公永田は、相当な変人ではあるけれど、その言動は何となく微笑ましいものなのですが・・・。
僕より先に慌しくソファーに腰を降ろした沙希が僕を見上げて、
「ここが一番安全な場所だよ!」
と笑顔で言った。
永田と沙希はすでに同棲しており、稼ぎの少ない永田は、ほぼヒモ状態になっています。
沙希に食べ物の仕送りをする母親の
「小包送っても半分は知らない男に食べられると思ったら嫌だって言ってたよ」
との言葉にブチ切れます。
しかし、自分の惨めな状況に鬱屈した思いを抱き、でも、沙希が作ってくれたご飯を食べている、そんな自分という存在が分からなくなるのです。
その後も、捻じ曲がった?理屈を沙希にぶつけ続けます。
ある日、 小学校時代の思い出話をしながらの散歩を終え、沙希のアパートに帰ってきたときに、「ここが一番安全な場所だよ!」と沙希が発します。
このあたりから、永田という男の甘えと自分勝手さが腹立たしく、どうしようもないクズ男だと思えてきて、それが又吉氏とオーバーラップして、作者に対してムカついてきたのです。
しかし、さらに読み進めると、永田のいやらしさや情けなさが、読んでいる自分に覆いかぶさるようになって、どんどんとイヤ~な気持ちになっていきました。
そして・・・、永田のイヤな部分と自分自身に「同じもの」を感じてしまい、自己嫌悪に陥ってしまったのです。
もっとも印象深い一節と考察
作品の中で、永田はさまざまな思考をめぐらせます。
その多くは、嫉妬に根ざすと受け取れるものですが、永田に対する腹立たしさが自分自身に対する嫌悪感に変わったころ、以下の一節に行き当たりました。
嫉妬と言う感情は何のために人間に備わっているのだろう。なにかしらの自己防衛として機能することがあるのだろうか。嫉妬によって焦燥に駆られた人間の活発な行動を促すためだろうか、それなら人生のほとんどのことは思い通りにならないのだから、その感情が嫉妬ではなく諦観のようなものであったなら人生はもっと有意義なものになるのではないか。(後略)
後略部分も含め、とても意味深な一節。
私にとって「劇場」の核心は、まさにこの「嫉妬心」にあると思いました。
タイトルが「劇場」である理由
ラストは、永田と沙希が別れるシーン。
場所は思い出がたくさん詰まっている沙希の部屋です。
ここに至ってはじめて、この作品のタイトルが「劇場」である理由が分かります。
そして、多くは語られなかった沙希の哀しい内面も始めて理解できたのです。
「劇場」を読んだ率直な感想
どのような小説も、読む人によって抱く感想は異なるものですよね。
この「劇場」も同じく、誰がどう読むかによって、読後感は大きく変わってくるのだろうと思います。
私自身は、読んでいておもしろくないし、むしろ、腹立たしかったり鬱々とした気分にさせられた、というのが、「劇場」を読んだ率直な感想です。
しかし、この鬱々とした気分は私自身が持つ、自覚している、けれど認めたくない、そんな自分自身のイヤな部分に否が応でも触れざるを得なかったからでしょう。
そういう意味でも、読む価値は十分にありました。
単行本が5月11日に発売開始
『新潮』2017年4月号に掲載された「劇場」が、いよいよ単行本化され、5月11日発売開始されます。
初版部数は30万部。
新潮社の歴史の中では、村上春樹氏の『1Q84 BOOK3』、『騎士団長殺し』の50万部に次いで、歴代2位とのことですが、「火花」での実績から考えると、むしろ少ないくらいかもしれません。
「劇場」、おそらく読んでイヤな気分になると思いますが、一読の価値は十分にあります。
ぜひ、お試しください。
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では、また。