仕事がうまくいったのは「部下のおかげ」、うまくいかなかったのは「上司のせい」

 

初めて管理職に任用されたとき、かっての上司であった人がアドバイスをくれました。

「これからは、『仕事がうまくいったのは部下のおかげ、うまくいかなかったのは上司のせい』と思って、やっていったほうがいいよ」

正直、「はぁ?」って思いました。

「この人、何、キレイ事を言ってるんだろう。そもそもアンタは、それを出来てるの?」とも。

少なくとも、その人が私の上司だったときは、出世欲でギラギラしていて、部下の成果を平気で自分の手柄にしていました。

なので、こんなアドバイスをされても、「何を格好つけてんだろう」と思うだけ、言っている意味を理解しようとすらしなかったのです。

 

やりたいことをやると

それまでの私は、担当する業務の範囲内において、「自分がやりたい」と思うことをやることに「やりがい」を感じておりました。

会社の仕事で「やりたいことをやりたいようにやる」。これほど楽しいことはありません。

当然ながら様々な軋轢や圧力、誹謗中傷なんかもありましたけど、それなりの結果を出すことで、まあ、容認されていたわけです。

 

こんな私が管理職になりました。すると、それまで以上にやりたいことをやり始めるわけですね。

もちろん、事業方針に基づき、事業領域の中で、部門の業績をあげるために、という枠ははずしていませんので、会社の中で「正しいこと」をやっているのですが・・・。

いわゆる、ワーカーホリック状態だったと思います。朝から夜中まで、土日も含めて、ずっと仕事をしていました。ほとんど、仕事が趣味みたいなものです。

 

部下への重圧

 

そんなとき、部下に対して、どう思っていたか・・・。

実に恥ずかしい話なのですが、

「上司の俺がやってるんだから、お前たちもやって当たり前だろ」

という気持ちを持っていたのです。

 

さすがに、その気持ちを言葉にしたことはありませんし、部下に仕事を強制することもありませんでした。

ですが、私の態度や行動は、十分すぎるほどの重圧になっていたのは間違いありません。

自分の組織をちょっとした「ブラック企業」に仕立て上げていたわけです。部下にとっては、迷惑この上ない話です。

 

 一人で空回り

一般職の頃も、同じような仕事振りではありましたが、業務や責任の範囲はある程度限定されたものでした。

ところが管理職になると、仕事の量も質もガラっと変わります。

それに対して、一人で張り切って、一人で背負い込んで、一人で空回りする・・・。

当然、パンクします。

見るに見かねた部下が「大丈夫ですか?何か手伝いましょうか?」と声をかけてくれました。

それに対して、どう思ったか?

 

普通だったら、感謝の気持ちを抱きますよね。

ところが、私は反対に、”ようやっと言ってきたか”と思ったのです。

この発想自体、お粗末極まりない話ですよね。

でも、そういう自覚は一切なく、むしろ、「言ってくるのが遅すぎる」くらいに思ったのです。

テンパっていたというか、周りが見えていなかったというか、一言で言えば、未熟者であったのです。

そして、その上司としての未熟さが、どれだけ部下に迷惑をかけているかを、理解出来ていなかったのです。

 

さすがに、この仕事のスタイルを続けるのは無理と考え、不要な仕事はやめる、優先度の低い仕事は手を抜く、部下に任せられる仕事は任せる、というふうに、仕事量を減らしていきました。

ただし、この時点でも、まだ自分の馬鹿さ加減は分かっていませんから、あくまで「自分のために」ということでした。

 

部下のありがたさにやっと気づく

そうこうしているうちに、仕事も落ち着き、気持ちも落ち着き始めます。

それまでの努力が実を結び始めます。

その成果を振り返ってみて、ようやく、部下の存在のありがたさに気がついたのです。

彼ら・彼女らが居てくれたからこそ、ここまで出来た、と。

自分ひとりじゃ、何も出来ていなかった、と。

 

冒頭に記した、

『仕事がうまくいったのは部下のおかげ、うまくいかなかったのは上司のせい』

これは、上司が意識すべきことではなく、「事実」であると分かるようになってきたのです。

そこから少しずつ、上司としてのあり方、心構え、部下対応のあり方、などを考え、実践していくようになりました。

 

まとめ

本ブログでは、いくつか上司が考えるべきこと、行うべきことを書き記しています。

中には、「大事、だけど難しすぎる」話もあるでしょう。

ただ、すぐには出来ないことであっても、少しずつ努力すれば、少しずつできるようになるはずです。

部下の成長とともに上司も成長する、これも大きな喜びだと言えるでしょう。