いつまでもあると思うな親と福利厚生?急に社宅が廃止になった話

会社員をやっている特典のひとつに「福利厚生」があります。

慣れてしまうと当たり前に感じるものですが、これは会社が社員に対して行っている「サービス」といえるもの。

世の中には、これといった福利厚生制度がない会社もいっぱいありますから、ただのプラスアルファのサービスだとわかったうえで、「うまく活用」すれば良いのですが・・・。

不覚にも「福利厚生を当たり前のこと」と思い込んで、生活の中に組み込んでしまい、大変な思いをしたことがあるのです。

 福利厚生

私が勤める会社には、それなりの福利厚生があります。

奨励金付きの「持ち株会」とか、レジャー補助など利用すればお得な制度があります。

一方、年に2~3回、「会議」といいつつ、会社がお金を負担して強制的に参加させられる宴会のように、必ずしも「歓迎」ではないものもあります。

その中で、今から10年ほど前に廃止された制度が2つあるのです。

 

宿泊所・保養所

かっては社員数が多く、事業所も全国に多数あったからでしょうか、現在の政令指定都市クラスの市や工場がある地方の市には、社員が出張時に利用することを前提とした宿泊所があり、また、有名観光地には、保養所が設けられていました。

社員や家族は、それらの施設を大変安く利用することができたのです。

 

ただし、その建物のほとんどは老朽化しているうえに、とにかくサービスが悪かった。

「安いお金で泊まらせてやっている」感が、ビンビン伝わってくるようなところばかりで、おまけに、どこに行っても、ごはんが不味い。

出張の際に寝るだけで利用するには我慢できても、旅行で家族を連れて行く場所ではなかったのです。

当然、社員からの評判はむちゃくちゃ悪くて、

「あんな保養所、はやく廃止して、キレイでサービスの良い施設に替えてくれたらいいのに」

との意見が労働組合に年中、出されていました。

 

そんな状況でしたので、保養所が廃止になっても社員は全く困らない、と言うか、施設の維持費のいくらかを社員のレジャー補助に回してくれたので、よほどありがたかったですね。

 

社宅制度

社宅の廃止、これは私には大打撃でした。

上述のとおり、全国各地に多数の事業所があって、社員は概ね2~4年サイクルで転勤があります。

転居を伴うことも当たり前でしたが、行く先々には社宅が完備されていたので、異動先での家探しの煩わしさはなく、知らない土地でも、同僚家族がすぐ近くに住んでいるという安心感もありました。

そして、何より家賃がべらぼうに安かったのですよ。

 

社宅は社畜の温床?

社宅そのものには、「社畜の温床」みたいなイメージがありますよね。

会社で管理され、帰宅しても周りの住人=社員とその家族から監視され、同じ人間と四六時中一緒なわけですから、普通に考えれば気持ち悪い状況の中で飼育されているってところでしょうか。

まあ、実際、そういう面は多々あるのでしょう。

 

古びた狭い団地仕様の建物、草むしりやゴミだしの当番、かったるい社宅行事、長年住み付きヌシのように幅を利かせているオバサン、そして、ダンナの会社での役職の上下によって、奥さんの序列が決まるといった理不尽さ・・・。

「うわぁ、カンベンして欲しいなぁ~」となりますよね。

このての話、ドラマや小説だけではなく、実際の「社宅あるある」のようだったのです。

 

快適な社宅環境

私は幸いなことに結婚して入居したのが、新築間なしのマンション。会社が一棟丸ごと借り上げていたものでした。

他の入居者も似たような境遇で、ほぼ同じタイミングで入ったので、社宅特有の煩わしさはなく、部屋が狭かったことを除きとっても快適でした。

 

一方、私が勤める会社の本当の社宅に暮らしている人の話を聞いても、日常の人間関係はアッサリしていて陰湿なことはなく、逆に困ったときはお互い様で頼れるみたいな感じだったと聞いています。

なので、世の中の社宅の評判に比べると、全然、住みやすい環境だったのです。

 

いつ転勤となって、どこで暮らすことになるかは分からない。

それは勤めはじめたときから割り切っていましたし、むしろ「いろいろなところで暮らせる」ことを、楽しんでもいたのです。

そして、私の生活設計では、50歳くらいまでは社宅暮らしを続ける、そんなつもりでいたのですが・・・。

 

社宅廃止のお触れ

社宅廃止のお触れが出ました。

理由はお決まりの経費削減です。

いろいろな施策が中止・廃止になりましたが、社宅は老朽化がすごかったし、三大都市圏、特に東京では社宅不足で新築マンションを借り上げていたぐらいだから、大変なお金がかかっていたのでしょう。

仕方ないといえば仕方ないのでしょうけど、出されたお触れは

「1年少々の猶予期間の間に、自分で新しい住処をみつけなさい」

というものでした。

 

社内は、ちょっとしたパニック状態。

社宅入居率は50%以下だったそうですが、それでも1万人以上の社員が住居移動を強制されるわけですからね。

労働組合の幹部に対して、「もっと、しっかり経営陣と戦ってくれよ!」って”お願い”する管理職がでる始末。

それでも決定事項が覆されることは、ありませんでした・・・。

 

社宅廃止で何が困ったか

社宅廃止で何が困ったかって、やっぱり、お金のやりくりに一番、困りましたね。

ろくに貯金もなく、親からの援助もなく、組んだローンは35年。

多少、給料は上がったものの、従来の社宅家賃に比べて、月々・ボーナスでのローン支払額との差は大きく、大変な負担増となりました。

それまでの社宅ありきの生活スタイル、社宅を前提としたお金の使い方を、住宅ローンを払いながらやりくりできるように切りかえるまで5年以上かかりました。

 

まとめ

たかだか社宅の話、客観的に見れば大したことないのでしょうけど、本人にとっては大問題でした。

会社員が、会社を上手に利用するのは良いけれども、「当たり前」として取り込んでしまうと、何かが起きたときにはとっても困る、だから、会社への依存は、節度をもった範囲にとどめましょう、と自戒の意味で記しました。

 

かつて、会社には多くの社員がいたはずなのに・・・。
エピソード1 入社したときの同期のお話入社したとき、同期の一人が工場に配属になりました。所属は事務部経理課給与係で、工場に勤務する人たちの給与計算をし、支払うという仕事です。ある程度、電算機化されていたとはいえ、まだまだ、人力で処理すること

 

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