「稼ぎと勤め」
「稼ぎと勤め」。
かつての日本では、この2つが揃ってはじめて「一人前の大人」と認められていた、との話を聞いたことがあります。
稼ぎとは、お金を稼ぐこと。
「稼ぎ」とは、自分の食い扶持はもちろん、「一人前の大人ではない」家族を養うお金を稼ぐことであり、経済的に自立しているということでしょう。
勤めとは、役割を果たすこと。
「勤め」とは、何らかの社会的な活動をしている、と言う意味です。
いわゆる、ボランティアや公的役職に就くなど、まさに社会的な活動を行っていることをはじめ、事業や会社勤めなどの経済的活動、そして、家内で育児や家事を行うなどその人なりの役割を担うことも、立派な勤めです。
現在の社会において、「稼ぎと勤め」がないからといって、一人前ではないのか?と問われると、それはちょっと違うと思いますが、それでも、”本質的”な部分は変わっていないように思います。
「何のために働くのか?」
「何のために働くのか?」
どなたでも、これまで一度は考えたことがある問題でしょう。
学生時代はもちろん、実際に働き始めてからも「なんで働かなきゃいけないんだろう?」って。
現実問題として、「お金」がないと生きていけませんから。
だから、いやなことも我慢して働く。
で、イヤになって「何のために働くのか?」とまた自問する、これを繰り返します。
ところで、「じゃあ、お金のためだけに働いているのか?」と聞かれると、必ずしも、そうだとは言い切れない部分ってありませんか?
(もちろん、お金のためだけと割り切って働いている人もいるでしょうけど・・・)
働くこと、そこには、自分のやりたいことや、やらなければならないことがあります。
やっている途中の充実感や倦怠感、やり終わった後の達成感や挫折感、そこから生まれる次への欲求、そして、何より働くことを通じて人との関わりがあります。
これらが、ずーっと絡み合いながら続いていく、その中で、自分の役割を果たし、自身の存在を意識することが、「働くこと」ではないでしょうか?
こう考えていくと、「働くこと」は、一人前の人間である「稼ぎと勤め」の橋渡しだと言えます。
つまり、
「稼ぐ」=”働く”=「勤める」
と言ってよいと思うのです。
「仕事におけるやりがいとは」
上の「稼ぐ」=”働く”=「勤める」という図式から、お金の「高」を除いたら、仕事におけるやりがいとは、自身の役割を果たし、それが認められることだと言えます。
そして、それは、「人から頼られること」なのです。
どのようなことであっても、人から頼られることは、自分自身の存在意義を最も意識できるときではないでしょうか?
そして、頼られる内容の難易度が高ければ高いほど、示される感謝が強ければ強いほど、感じる幸福度は高い。
ですから、どのような職場であろうと、どのような仕事に就こうと、どれくらい周囲から頼られているかが、働く人間にとって、その価値と人生の幸福度の尺度となるのではないかと思います。
つまり、「仕事におけるやりがい」とは、仕事そのものに対して持つ部分もあるけれど、それ以上に、仕事を通じて「役に立ち、かつ、役に立てたことを自覚すること」で得られるものと言えるでしょう。
人の役にたつって、キレイごとでしょ?
ここまで、仕事のやりがいとは、「役に立ち、かつ、役に立てたと自覚すること」
それが最も端的に感じられるのは、「人から頼られること」
と記しました。
でも、「人の役に立つ」とか、「人から頼られる」といったことは、ただのキレイごとのように思えませんか?
さらに言うと・・・、
多くの会社の企業理念には、社業を通じて「世の中に貢献する・お役に立つ」とか、「お客様第一」との文言が謳われています。
が、これらが、会社の本心としての「ありたい姿」とは、どうしても思えなかったのですね。
「株主や社会に対して、(実態は別にして)耳障りの良いメッセージを発信しておけばよい」、本心はこれではないかと思っていたのです。
経営に間違いがなくバランスを取っている限り、商品やサービスが世の中の役に立っている間は、その会社は生き残れます。
しかし・・・、世の役に立たない会社は、いずれ潰れていきます。
そうなると、経営者や従業員は困る。だから、生き残るための手段として、「世の中の役に立つ存在でなければならない」と言った考えがあって、それを、全社的に押し付けているように思えてならないのです。
本末転倒というか、会社の設立趣旨からは離れていることでしょう。
一方で、売り上げノルマというものがある。
これは往々にして世の中の実需要、すなわち、役に立てる範囲を超えた数字で出されていると思います。
まあ、企業間競争やら、株主還元やらの理由はあるから、実態にそぐわない数字が目標として出されるしょうけど。
結果、社員に重労働を強いる一方、大幅なダンピングがなされ、その後に続く返品、在庫廃棄といった状況を生み出しています。
これなどは世のニーズを上回る供給が、企業のエゴによってなされている典型であり、自ら商品の「世の役に立つ」という価値を毀損する行為だと思うのです。
こういったお題目と営利主義との矛盾によって、どうしても「役に立つ」という発想を受け入れられなかったのですが・・・。
見方を変えて、考え方を変えてみたら
さて、ここまで述べてきた考え方、実に短絡的で、物事の一面しか見ていないのですね。
「役に立つ」という言葉、確かにキレイな絵空事として企業が用いているのかもしれません。
でも、言葉尻の問題はおいて置いて、本当に役に立っていないのか?となると、絶対にそんなことはないハズなのです。
少なくとも、まともな商品やサービスがまともな価格で取引されているのであれば、そこには何らかの価値貢献があるはずです。それこそ、まさに「役に立っている」と言うことだと思うのです。
いいね!って言う人がいるならそれで良い
企業のお題目がどうたら、キレイ事がこうたら、そんなことは関係なく、もっとシンプルに考えるべきだと気づいたのです。
そして、自分自身が、仕事としてその一部を担っているのだから、超極小ではあるけれども、自分の仕事は価値がある、自分自身が何かの役に立っているって思えばいいじゃん、ってなったのです。
すると、職場のごく身近な範囲で、自分の存在なり仕事の価値なりに対する考えが変わってきました。
それまでの自分にとって仕事とは、自分自身が楽しめるか、他者よりも良い結果を出したか、が強かったのです。
これは今でも変わりませんが、それにプラス、他者にとっても価値があることか、貢献しているかという要素も加わりました。
そして、「ありがとう」と言われても、単なる社交辞令的に受け取っていたのが、具体的に「サポートが出来て、感謝してもらえた」と思うようになったわけです。
何年か前に「ん?」となってから、少しづつ考えが変わって、今、上記に至っています。
おわりに
いずれにしても、もっとも理想的なのは、
「自分がやりたいことをやりたいようにやって、貢献し、感謝されること」
でしょう。
逆に、
「感謝されるために、やりたくないことを無理にやる」
のは、極力避けたほうがいいですね。
でないと、心身を壊しかねませんから。
今の職場でやりたいことを見つけ、それをやりたいようになれればベストですね。
でも、今の会社では、どうしても「やりたいことがみつからない」「仕事のやりがいが感じられない」という方は、下記の転職サイトにアクセスしてみてはいかがでしょうか?
一度、自分自身を客観的に見つめ直して、場合によっては転職を検討するのもよいかもしれません。
それでは、また。